こんにちは、メンズコスメケア図鑑 運営者のシライヒロです。
最近、街中でメイクをしている男性を見かけたり、デパートのコスメカウンターに男性客が並んでいる光景を目にしたりすることも、もはや珍しくなくなりましたね。私自身、毎朝のスキンケアが日課になっていますが、ふと「そもそも男が化粧をするようになったのはいつからなんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか。実は、男性が化粧をするという行為は、現代の一過性のブームなどではなく、人類の歴史を振り返ればごく当たり前の「標準的」な営みでした。日本や海外における歴史的変遷を深く紐解くと、そこには単なる「美しさの追求」を超えた、生存戦略や権威の誇示、そして宗教的な祈りといった切実な意味が隠されていたのです。この記事では、なぜ一度廃れた文化が現代に復活したのか、その社会的背景や深層心理についても詳しく解説していきます。
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- 古代エジプトやローマの男性が実践していた驚きの美容法とその実用的機能
- 日本の平安貴族や戦国武将が独自の美学で貫いた「男の化粧」の真実
- 明治維新と西洋化によって男性の美意識がタブー視されるようになった歴史的経緯
- Z世代が牽引するジェンダーレス市場の拡大と、これからのメンズ美容の未来
古代から日本へ続くメンズコスメの歴史
ここでは、人類史における男性と化粧の切っても切れない密接な関係について、時代を遡って解説します。現代の私たちは「化粧=女性のもの」という固定観念を無意識に持っていますが、歴史的な視座に立てば、それは近代以降に作られた比較的新しい規範に過ぎないことがわかります。古代から日本の中世に至るまで、男性たちは明確な意図と政治的な目的を持って、その顔を彩っていたのです。
海外における化粧の起源と生存戦略
まず私たちの常識を覆すのは、紀元前4000年頃の古代エジプト文明における化粧の在り方です。ツタンカーメン王の黄金のマスクに見られるように、目の周りを黒く太いラインで囲む「コール(kohl)」と呼ばれるアイメイクは、ファラオだけでなく、兵士や一般市民に至るまで、当時の男性にとって「服を着るのと同じくらい当たり前」の習慣でした。

当時の男性たちが施していたアイメイクには、現代のようなファッション性とは全く異なる、過酷な環境で生き抜くための極めて実用的な機能がありました。エジプトの砂漠地帯における強烈な太陽光は、目を傷める最大の脅威です。黒いアイラインは、サングラスのように日差しを吸収し、眩しさを軽減する役割を果たしていました。さらに、当時の顔料には鉛や銅が含まれており、これが一種の殺菌・抗菌作用を発揮していたとも言われています。ナイル川流域では眼病を媒介するハエなどの飛翔昆虫が多く発生しましたが、コールの独特な香りと成分が虫除けの効果も担っていたのです。
また、精神的な側面も見逃せません。「ホルスの目(ウジャトの目)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。古代エジプト人にとって化粧は、邪視や悪霊から身を守るための強力な「護符(お守り)」でもありました。戦場に向かう兵士たちは、物理的な防御だけでなく、魔術的な加護を得るためにアイラインを引いていたのです。つまり、彼らにとってメイク道具は、剣や盾と同等の「生存のための装備」だったわけですね。
時代が進み、古代ローマやヨーロッパの宮廷社会においても、男性の美意識は高く保たれ続けました。ローマ帝国の市民たちは、公衆浴場(テルマエ)という高度な社交場を持ち、そこでオイルマッサージや脱毛、垢すりといったスキンケアを日常的に行っていました。当時の文献には、男性が若さを保つために顔のシミを隠すパウダーを使ったり、薄毛をごまかすために頭皮にペイントを施したりしていた記述も残っています。中には、豚の脂肪と血を混ぜた液体で爪を染めるなど、現代の感覚からするとかなりグロテスクで過激な美容法も存在したようですが、それほどまでに「若く、美しくあること」への執着が強かった証拠でしょう。
さらに17世紀から18世紀のフランス宮廷、ルイ14世や16世の時代を想像してみてください。彼らは巨大なカツラを被り、顔には白粉を塗りたくり、赤いハイヒールを履いていました。これらは全て、労働をする必要のない「特権階級」であることの証明であり、装飾の過剰さがそのまま権力の大きさを可視化していたのです。この時代まで、男性が着飾り、化粧をすることは、決して「女々しい」ことではなく、権力者としての正当な振る舞いだったのです。
平安時代の貴族に見るジェンダーレス
視点を日本に移してみましょう。日本においてメンズメイクが最も洗練され、ある意味で現代以上にジェンダーレスな発展を遂げたのが、平安時代です。遣唐使が廃止され、独自の国風文化が花開いたこの時代、貴族社会における男性の美意識は、女性のそれと限りなく接近していきました。
その背景には、当時の独特な建築様式である「寝殿造り」が大きく関係しています。寝殿造りの建物は庇(ひさし)が長く張り出しており、昼間でも室内は薄暗い状態でした。照明器具も貧弱だったその闇の中で、自分の顔立ちを際立たせ、存在感を主張するために、男性貴族たちも顔に白粉(おしろい)を塗るようになったのです。

| 化粧の種類 | 具体的な方法と効果 | 当時の意味合い |
|---|---|---|
| 白粉(おしろい) | 顔全体を白く塗ることで、薄暗い室内でも表情を際立たせる。 | 高貴な身分の証明、清潔感の演出。 |
| お歯黒(鉄漿) | 鉄を酢に溶かした溶液で歯を黒く染める。 | 白い顔の中で口元を引き締め、表情を柔和かつ神秘的に見せる。 |
| 引眉(ひきまゆ) | 本来の眉を抜き、額の高い位置に丸い眉(殿上眉)を描く。 | 感情をあからさまにしない穏やかな表情を作り、高潔さを表現。 |
特に興味深いのは、「お歯黒」の習慣です。現代人の感覚では、歯を黒く塗ることは奇異に映るかもしれませんが、当時の美意識では、白い顔に白い歯だと、笑った時に口元が裂けたように見えて野蛮だとされていました。歯を黒く染めることで、口元の印象を和らげ、ミステリアスで高貴な雰囲気を演出していたのです。
また、『枕草子』などの文学作品を紐解くと、清少納言が男性の化粧の失敗(白粉の塗りムラなど)を厳しく批判する記述が見られます。これは裏を返せば、当時の男性にとって「化粧の技術」は、和歌や楽器の演奏と同じように、教養ある貴族として習得すべき必須のスキルだったことを意味します。平安後期の貴族・源有仁(みなもとのありひと)が、女性を模倣して化粧を始めたことで男性化粧が一般化したという逸話も残っています。
この時代の男性にとって、女性的な美を取り入れることは、決して「弱さ」や「女々しさ」の象徴ではありませんでした。むしろ、粗野な武人性から離れ、洗練された文化人としてのアイデンティティを確立するための、極めて知的な行為だったのです。現代のジェンダーレス男子たちが、既存の「男らしさ」に囚われずにメイクを楽しむ姿と、平安貴族の美意識には、驚くほどの共通点があるように思えてなりません。
戦国から江戸時代に根付く粋な美学
時代が下り、武士が支配する世の中になっても、男性の化粧文化が途絶えることはありませんでした。むしろ、その目的は「優雅さ」から、武士としての「覚悟」や「威厳」へと形を変え、より精神的な意味合いを帯びるようになりました。
戦国時代における化粧は、まさに「死に化粧」としての嗜みでした。明日は生きて帰れるかわからない戦乱の世において、武士たちが最も恐れたのは、討ち取られた後に敵将による「首実検(くびじっけん)」を受ける際、自分の顔色が悪く貧相に見えることでした。死に顔が醜いと、「あいつは恐怖に怯えていた」「生活に困窮していた」などと侮られ、家名の恥になると考えたのです。そのため、出陣前の武将たちは、鏡に向かって薄く白粉をはたき、血色を良く見せるための化粧を施しました。さらに、香を焚き込めて兜を被ることで、最期の瞬間まで美しくあろうとしたのです。
戦国時代には、化粧が高度な情報戦の一部として利用されることもありました。身分の高い武将の首は大きな手柄となるため、討ち取った若い武将の首にお歯黒を施し、高位のベテラン武将に見せかけるといった偽装工作が行われた記録もあります。また、天下人である豊臣秀吉も、自身の威厳を保つために付け髭を使用していたと言われており、化粧は権力を演出するツールとして機能していたのです。

武士の覚悟から江戸の粋へ
平和が訪れた江戸時代に入ると、化粧の目的は「生存」から、江戸っ子特有の美学である「粋(いき)」へとシフトします。戦国時代のような死と隣り合わせの緊張感は薄れましたが、その代わりに都市文化としての洗練された身だしなみが求められるようになりました。
江戸の男性たちは、厚塗りの化粧を「野暮(やぼ)」として嫌いました。代わりに重視されたのが、素肌の美しさと清潔感です。銭湯文化の発達と共に、男性たちは「毛切り石(現在の軽石のようなもの)」を使って肌を磨き、無駄毛を処理することに熱心になりました。当時の銭湯は、単に体を洗う場所ではなく、最新の美容情報を交換するサロンのような役割も果たしていたのでしょう。
また、この頃には現代のアフターシェーブローションの先駆けとも言える「ヘチマ水」や「江戸の水」といった化粧水が商品化され、広く販売されていました。髭剃り後のヒリヒリした肌を整えるために、これらの化粧水を使うことは、江戸の男性にとってごく普通の日常風景だったのです。天明年間(1780年代)には、若者の間で眉を抜いて形を整える「かったい眉」などが流行しましたが、これは現代の若者が眉サロンに通ったり、自分で眉を整えたりするのと全く同じ心理的動機に基づいています。
明治の富国強兵による美意識の断絶
これほどまでに豊穣で、長い伝統を持っていた日本のメンズコスメ文化が、なぜ近代に入って忽然と姿を消し、「男が化粧をするなんて気持ち悪い」というタブーが形成されてしまったのでしょうか。その最大の転換点は、1868年の明治維新と、それに続く急速な近代化政策にあります。
明治政府が掲げたスローガンは「富国強兵」でした。西洋列強に追いつき、植民地化を避けるためには、日本全体が一つの巨大な軍事国家・産業国家へと生まれ変わる必要がありました。この新しい国家目標の下で、男性の身体は「個人のもの」ではなく、「国家のための資源」として再定義されたのです。
政府は、それまでの伝統的な風習を「旧弊(古い悪い習慣)」として次々と否定していきました。1871年の「散髪脱刀令」により、武士の象徴だった丁髷(ちょんまげ)は切り落とされ、機能的な短髪(ざんぎり頭)が推奨されました。さらに、明治天皇ご自身が、伝統的な公家風の化粧(引眉やお歯黒)をやめ、西洋風の軍服に身を包み、髭を蓄えた姿を公式の肖像(御真影)としたことは、国民に対して強烈なメッセージとなりました。
この瞬間、日本における理想の男性像は、「白粉を塗った優雅な貴族」から、「日に焼けた肌で、筋肉質で、戦闘や労働に適した軍人・労働者」へと180度転換したのです。男性には産業と軍事を支えるための健康で頑強な肉体のみが求められ、鏡を見て化粧をしたり、ファッションにかまけたりすることは、「軟弱」で「非国民的」な行為として厳しく指弾されるようになりました。こうして、国家の生存戦略のために、個人の美意識は徹底的に抑圧され、メンズコスメの歴史はここで一度、完全に断絶してしまうことになります。
近代で男性化粧がタブー視された理由
明治以降の日本で「男性の化粧」がタブー視された背景には、実は日本独自の事情だけでなく、18世紀末のヨーロッパで起きた「大いなる男性の放棄(The Great Male Renunciation)」と呼ばれる世界的な現象が深く関わっています。
産業革命と市民革命(フランス革命など)を経た欧米社会では、社会の価値観が劇的に変化しました。啓蒙思想に基づく「理性」や「合理性」が重視されるようになり、貴族的な華美な装飾は「非合理的」で「虚栄」に満ちたものと見なされるようになったのです。その結果、かつては男性の特権であった鮮やかな色彩、豪華な刺繍、化粧、ハイヒールといった要素は全て「女性のもの」として再配分され、男性の服装は機能的で地味な黒や紺のスーツへと統一されました。

近代化による男性美意識の変容
さらに、19世紀のイギリスにおけるヴィクトリア朝の厳格な道徳観も大きな影響を与えました。当時のヴィクトリア女王は化粧を「下品」と断じ、教会もこれを支持しました。化粧は「自然の理に反する行為」であり、「売春」や「堕落」と結び付けられるようになったのです。男性にとっての美徳は「誠実さ」や「勤勉さ」のみとなり、外見を飾ることは、内面の空虚さを隠す詐欺的な行為であるという認識が広がりました。
また、同性愛に対する抑圧も無視できない要因です。江戸時代まで、日本の武士道の一部として肯定的に捉えられていた男色(衆道)文化は、西洋医学やキリスト教的倫理観の導入により、「変態性欲」や「病理」として弾圧の対象となりました。これにより、男性が男性に対して美しさをアピールすることや、男性が美を追求すること自体が、性的な逸脱と結び付けられて警戒されるようになったのです。
明治の日本は、西洋の技術や制度だけでなく、こうした「男性が装うことへの嫌悪感」という精神的な規範までもセットで輸入しました。その結果、「男は中身で勝負」「外見を気にするのは女のすること」という、現代まで続く強固なジェンダーバイアスが完成したのです。私たちが無意識に感じていた「男が化粧なんて」という抵抗感の正体は、実は生物学的なものではなく、近代国家を作るために人為的に埋め込まれた政治的なプログラムだったと言えるかもしれません。
現代メンズコスメの歴史と市場の変遷
明治維新による断絶から約100年。一度は途絶えた男性の美意識ですが、戦後の高度経済成長を経て、少しずつ、しかし確実に復活の兆しを見せ始めます。ここからは、1980年代のバブル期における実験的なブームから、現代のZ世代が牽引する巨大市場に至るまでの、現代メンズコスメの波乱万丈な歴史を見ていきましょう。それは単なる商品の歴史ではなく、日本男性の「自己肯定感」回復の物語でもあります。
バブル期の実験的商品と流行の推移
1980年代、日本経済が絶頂期を迎えたバブル景気の時代、メンズコスメ市場に最初の大きな波が訪れました。人々の生活に余裕が生まれ、消費が美徳とされたこの時期、企業は新たな市場を開拓しようと、男性向けの化粧品開発に乗り出したのです。
しかし、この時期のメンズコスメの特徴は、現代のような「美肌」や「繊細さ」を追求するものではありませんでした。あくまで従来の「男らしさ」という枠組みの中で許容される、「健康美」や「野性味」を演出するためのツールとして提案されたのです。
1984年にコーセーから発売された「ダモン ブロンザー」や、資生堂の「ギア」といったブランドがこの時代を象徴しています。当時のキャッチコピーや広告戦略を見ると、白い肌を隠して「日焼けした肌」に見せるためのファンデーション(ブロンザー)が主力商品でした。テニスやサーフィンなどのアウトドアスポーツがブームだったこともあり、「色黒=健康的で活動的な男」というイメージが正義とされていたのです。
また、この時代は音楽シーンの影響も絶大でした。YMOや沢田研二、忌野清志郎、吉川晃司といった国内アーティスト、そしてデヴィッド・ボウイやカルチャー・クラブといった海外アーティストたちが、奇抜なメイクをしてステージに立っていました。彼らの姿は若者たちに強烈なインパクトを与え、「メイクをする男=最先端でカッコいい」という認識を一部の層に植え付けました。
しかし、残念ながらこれらの商品は、一般男性の日常習慣として定着するには至りませんでした。あくまで「遊び」や「ファッション」の延長線上にあり、バブル崩壊と共に多くのブランドが撤退していきました。当時の社会通念では、まだ「普通のサラリーマン」が顔に何かを塗って出社することは、あまりにハードルが高すぎたのです。
90年代に普及した清潔感という概念
バブルの狂乱が終わり、1990年代に入ると、社会の価値観は「派手さ」から「リアルな清潔感」へと大きくシフトします。この時代に、現代のメンズコスメ市場の土台となる決定的な革命が起きました。それが、マンダムの「ギャツビー」ブランドによるフェイシャルペーパーの爆発的な普及です。
1996年に発売されたフェイシャルペーパーは、それまで「男の顔は脂ぎっていて当たり前」「汗をかいたらタオルで拭けばいい」と考えていた男性たちの行動様式を一変させました。「外出先で、シートで顔を拭く」という新しい習慣が生まれたのです。これにより、「脂ぎった顔=不潔、仕事ができないオヤジ」というネガティブなイメージが定着し、男性が日中に顔のケア(皮脂除去)を行うことが、社会的なマナーとして認知されるようになりました。
また、1990年代後半には、黒色のフィルムタイプあぶらとり紙が大ヒットしました。取れた脂が黒いフィルムの上で可視化されることで、「汚れが取れた!」という爽快感や達成感を男性に与えることに成功したのです。これは、スキンケアを「義務」から「快感」へと変えた画期的なイノベーションでした。
さらに、この時代には木村拓哉さんなどの影響で、男性の長髪や茶髪が一気に一般化しました。ストリートファッションの流行と共に、男性が鏡を見て自分の髪型や顔を細部までチェックする時間が増えたことは、後のスキンケアへの関心につながる重要なステップでした。眉毛を細く整える「細眉ブーム」もこの頃です。90年代は、化粧品そのものよりも、「鏡を見る習慣」と「清潔感への意識」が男性の間に深く根付いた時代だったと言えるでしょう。

バブル期の実験と90年代の清潔感革命
00年代の変革と本格的なケアの定着
2000年代に入ると、欧米から「メトロセクシャル」という新しい概念が輸入され、男性美容は新たなフェーズに突入します。メトロセクシャルとは、都市(Metro)に住み、ファッションや美容に高い関心を持つ異性愛者(Heterosexual)を指す造語ですが、この言葉を一躍有名にしたのが、2002年の日韓ワールドカップでフィーバーを巻き起こしたデビッド・ベッカム選手です。
ベッカム選手は、世界的なトップアスリートでありながら、頻繁にヘアスタイルを変え、スキンケアを行い、ネイルケアまで嗜んでいました。彼の姿は、「美容に気を使うことは、軟弱なことではなく、プロフェッショナルな男性の条件である」という新しい規範を世界中に発信しました。日本でも中田英寿選手などがファッションアイコンとなり、男性ファッション誌はこぞって「モテる男の条件」としてスキンケア特集を組み始めました。
この流れに呼応するように、大手化粧品メーカーも本腰を入れて市場に参入しました。
- SHISEIDO MEN(2004年〜): 「心は自由か 顔はどうだ」というコピーと共に、デパートコスメとして参入。社会的地位のあるエグゼクティブ層に向け、高品質な美容液やクリームを展開。「スキンケアはビジネスツールであり、自己投資である」という概念を確立しました。
- OXY(オキシー)やUNO(ウーノ): ドラッグストア市場において、若年層をターゲットに安価で高機能な商品を展開。ニキビケアや爽快感を重視し、「洗顔料を使って顔を洗う」「風呂上がりに化粧水をつける」という習慣を、高校生や大学生の間に定着させました。

00年代メトロセクシャルと本格ケアの定着
この時期の変革によって、スキンケアはもはや「特別な意識高い系の趣味」ではなく、「普通の男性が普通に行う身だしなみ」へと昇華されました。コンビニで男性用の洗顔料が当たり前に買えるようになったのも、この時代の大きな功績です。
韓国ブームとSNSが変えた美意識
2010年代、メンズコスメ市場のルールを根底から覆す「黒船」が到来しました。それが、K-POPブームとスマートフォンの普及です。この2つの要素は、男性の美意識を「マイナスをゼロにする(清潔感)」から、「ゼロをプラスにする(美しさ)」へと進化させました。
東方神起、BIGBANG、そしてBTSへと続くK-POPアイドルたちは、ステージ上だけでなく、日常のオフショットでもBBクリームやアイメイクを施し、陶器のように滑らかな肌を披露しました。かつての日本のヴィジュアル系バンドのメイクが「異形の美」だったのに対し、K-POPスターたちのメイクは「洗練された理想的な男子の姿」として、特に若い世代に受容されたのです。「男も肌が綺麗な方がカッコいい」「メイクは魅力を引き出す魔法」という価値観が、彼らを通じて強烈にインストールされました。

SNSと韓流が変えた美の基準
InstagramやTikTokの普及により、誰もが自分の顔を撮影し、発信する時代になりました。カメラアプリの加工フィルターで補正された「綺麗な自分」を見慣れてしまうと、ふと鏡で現実の自分(肌荒れ、青髭、クマ)を見た時に、強烈なギャップと嫌悪感を感じるようになります。この「現実の自分をフィルターの中の自分に近づけたい」という切実な欲求が、ファンデーションやコンシーラー、BBクリームへの需要を爆発的に押し上げました。
また、YouTubeなどの動画プラットフォームで、美容系YouTuberがメンズメイクの具体的な方法(How-to)をわかりやすく発信するようになったことも決定打でした。「興味はあるけど、何を買っていいかわからない」「店員さんに聞くのが恥ずかしい」という男性特有の悩みは、スマホ一つで解決できるようになったのです。情報の民主化が、メンズコスメへの参入障壁を劇的に下げたと言えます。
拡大する市場規模とZ世代の価値観
そして現在、2020年代。市場はZ世代(1990年代中盤〜2010年代序盤生まれ)の価値観をエンジンとして、かつてない多様性と広がりを見せています。皮肉にも、COVID-19パンデミックによるリモートワークの普及が、この傾向に拍車をかけました。
Zoomなどのオンライン会議で、自分の顔が長時間モニターに映し出される経験(いわゆる「Zoom効果」)を通じて、多くのビジネスマンが自分の顔色の悪さや老け込み具合を客観視させられました。これにより、若者だけでなく、30代〜50代のミドル層までもが、BBクリームやアイブロウ、血色を良くするリップクリームに手を伸ばすようになったのです。実際、市場調査データを見てもその成長は明らかです。
Z世代にとって、メンズメイクはもはや「隠すため」のものではありません。「自分らしさを表現するため」のクリエイティブな手段です。性別を問わないパッケージデザインの「ジェンダーレスコスメ」が支持を集め、韓国コスメ(VT Cosmetics, innisfreeなど)を抵抗なく使いこなす彼らの姿は、非常に自由で軽やかです。
市場の拡大は顔だけに留まりません。清潔感を求めるトレンドは全身へと波及し、メンズ脱毛サロンや家庭用脱毛器の市場も急拡大しています。「短パンを履くならすね毛は処理する」「名刺交換の時に指先が汚いのはNG」といった意識から、ネイルケアを楽しむ男性も増えています。「男だから」「女だから」という古い枠組みを超え、自分が心地よくあるためにコスメを選ぶ。そんな新しい「ニューノーマル」が、今まさに確立されようとしています。
メンズコスメの歴史から学ぶ未来
古代エジプトの実用的なアイメイクから始まり、平安貴族の優雅な白粉、戦国武将の決死の化粧、そして明治以降の断絶を経て、現代のジェンダーレスな自己表現へ。
こうして歴史の長い旅を振り返ってみると、現在のメンズコスメブームは、決して突発的な流行などではないことがわかります。それは、明治維新と近代化によって失われていた「男性が装う権利」の、150年ぶりの回復過程であると言えるのではないでしょうか。
歴史は螺旋状に進化すると言われます。江戸時代の男性たちが持っていた「粋」な美意識や、平安貴族の「美=教養」という感覚が、デジタルテクノロジーや新しいジェンダー観と融合して、現代にアップデートされた形で蘇っているのです。これからの時代、メンズコスメは単なる「見た目を良くする道具」を超えて、私たちが自分自身のアイデンティティを確認し、自信を持って社会と関わっていくための「強力なパートナー」になっていくはずです。
もし、まだスキンケアやメイクに少し抵抗がある方がいれば、ぜひ一度、小さなアイテムから手に取ってみてください。鏡の中の自分が少し変わるだけで、気持ちが前向きになる。それは歴史的に見ても、男として非常に自然で、人間として普遍的な喜びなのですから。この記事が、あなたの新しい一歩のきっかけになれば嬉しいです。



